教育立国(2)~新しい“勤勉”の定義~
思うに、教育の第一の目的は、社会に出て一人立ちしたとき、自分自身で稼ぎ、社会の人間関係の中で生活していけるようになるための力を身に着けさせることにある。そのためには何が必要なのか、これまでの考察を踏まえて考えてみたい。
この15年で、日本人にとっての“仕事と人生”は劇的に変わった。それまでの常識は、良い大学を出て大きな会社に就職し、一つの職場でコツコツと仕事をこなすことが、無難に世の中を生きていくことであった。それが“勤勉”の意味であり、いわば“一所懸命”型の仕事観であった。転職して所属する組織を変えることはマイナスイメージでしかなく、事実、サラリーマンが転職する際には、年収が下がるというのが常識であった。
基本的に、新卒で入った企業で定年まで働くというのが良い人生という考え方が一般的であった。昨年9月10日のブログにも書いたとおり、高度成長期のもとでは、ある程度以上の規模の企業に就職しさえすれば、人生のストーリーが大部分予測可能な形で描け、その安定感は何者にも変えがたいものであった。
しかし、バブル崩壊を経て状況は変わった。企業に就職しても、不況が来たらいつリストラされるかわからない。給料も定期的に上がるわけではないし、逆に下がる可能性もある。一部の人間には転職によるキャリアアップのチャンスがあるが、多くの人間には、会社を辞めたらフリーターになるしかない。これは、言い方を変えれば、大卒ホワイトカラーでいることのリスクが、相対的に極めて増加したということである。
今後は“勤勉”の定義は以下のように変わらざるを得ない。
―どんな組織にいても必要とされる人材となれるよう、自分の能力を高めていくよう努力すること―
そのためには自身が生きていけるだけの収入を得られる“仕事をする能力”と、社会のルールを守って生きる常識とバランス感覚、コミュニケーション能力などが最低限必要である。
これをベースに、日本人の教育を見直す時期が来ている。
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