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2007年5月25日 (金)

教育立国(3)~知識社会の到来~

 教育を考える際には、これからどのような社会が来て、それに対応してどのような人づくりをしたいかを考える必要がある。

 「大学を出て、大企業に入れば人生安泰」という時代はもう来ない。それは、個人の側からみても企業の側からみても同様である。

 昨年10月31日のブログに書いたとおり、現代の若者は即時的行為を優先する傾向、つまり、長期的な安定よりも現在のやりたいことの実現を優先する傾向にある。一方、企業でも、入社した社員の人生を丸抱えするほどの余力はない。なぜ、企業が終身雇用が維持できない状況になったのであろうか。

 短期的には、平成不況に晒された企業がスリム化を必要とし、余分な人員を抱える余力がなくなったことが大きな原因であるが、それは本質的要因ではない。

 根本の原因は、世界経済の構造自体が完全に変わったことによる。具体的には規格大量生産の社会から、知識社会へ移行したことである。1970年代以降の先進国に共通に見られるのは、日常生活に必要なものはすでにほとんどの国民にいきわたり、モノが売れなくなるという現象である。競争を勝ち抜くには、より、便利なもの、よりデザインのよいもの、よりブランド力がある、魅力的な商品・サービスを常に生み出す必要がある。

 経済学者の岩井克人氏が指摘しているように、モノを作りさえすれば売れた時代は終わり、商品やサービスにいかに“差異”をつけて付加価値を上げるかによって、利益が得られるかどうかが決まる時代となったのである。
利益の源泉が“差異”にある以上、差異を作ることができる人間は貴重な戦力となるが、それができない人間は相対的に低い戦力とならざるを得ない。

 クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュは、今から15年以上前に、その著書「ザ・ワーク・オブ・ネーションズ」でこのような21世紀の資本主義経済を予測し、ニューエコノミーと名づけた。ライシュは、高付加価値を生み出すことができる一部の人材をシンボリック・アナリストと呼び、彼らの重要性が増す一方、その他の人材は単純労働者として、低賃金で働かざるを得ないと結論付けた。

 このような傾向は1970年代以降、先進国で起こりつつあった現象である。それが、冷戦の崩壊と情報通信技術の発達によりグローバル化が進み、一挙に加速したと見るべきであろう。この事態はわが国でも例外ではない。フリーター数は既に200万人を超えた。非正規雇用の労働者は増加する一方なのである。

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2007年5月20日 (日)

教育立国(2)~新しい“勤勉”の定義~

  思うに、教育の第一の目的は、社会に出て一人立ちしたとき、自分自身で稼ぎ、社会の人間関係の中で生活していけるようになるための力を身に着けさせることにある。そのためには何が必要なのか、これまでの考察を踏まえて考えてみたい。

  この15年で、日本人にとっての“仕事と人生”は劇的に変わった。それまでの常識は、良い大学を出て大きな会社に就職し、一つの職場でコツコツと仕事をこなすことが、無難に世の中を生きていくことであった。それが“勤勉”の意味であり、いわば“一所懸命”型の仕事観であった。転職して所属する組織を変えることはマイナスイメージでしかなく、事実、サラリーマンが転職する際には、年収が下がるというのが常識であった。

 基本的に、新卒で入った企業で定年まで働くというのが良い人生という考え方が一般的であった。昨年9月10日のブログにも書いたとおり、高度成長期のもとでは、ある程度以上の規模の企業に就職しさえすれば、人生のストーリーが大部分予測可能な形で描け、その安定感は何者にも変えがたいものであった。

 しかし、バブル崩壊を経て状況は変わった。企業に就職しても、不況が来たらいつリストラされるかわからない。給料も定期的に上がるわけではないし、逆に下がる可能性もある。一部の人間には転職によるキャリアアップのチャンスがあるが、多くの人間には、会社を辞めたらフリーターになるしかない。これは、言い方を変えれば、大卒ホワイトカラーでいることのリスクが、相対的に極めて増加したということである。

 今後は“勤勉”の定義は以下のように変わらざるを得ない。

―どんな組織にいても必要とされる人材となれるよう、自分の能力を高めていくよう努力すること―

 そのためには自身が生きていけるだけの収入を得られる“仕事をする能力”と、社会のルールを守って生きる常識とバランス感覚、コミュニケーション能力などが最低限必要である。
これをベースに、日本人の教育を見直す時期が来ている。

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2007年5月13日 (日)

教育立国

 当たり前のことから始めよう。日本は、採掘して売りさえすれば外貨を得られるような、資源を持たない国である。元来、火山活動が活発なわが国は鉱物資源の豊富な国であったが、経済・産業構造の転換によりその多くがコスト的にペイしない状況となった。特に現代において極めて重要な資源である、石油がほとんど算出しないということが、日本が加工貿易の道を歩むことを決定付けた。

 石油のほぼ100%、食料の約60%を輸入に頼っている日本は、海外からの輸入がなくなると忽ちのうちに生活難に陥るということになる。特に石油は重要で、石油がなければ肥料も作れないし、トラクターも動かせず、食料の供給も困難になってしまうのである。

 その日本で日本人が豊かな生活が送れるのは、言うまでもなく外国から資源を輸入し、それを原材料にして製品・半製品を作り、輸出しているからにほかならない。これを可能にしているのは、「日本人が作った製品が外国に売れる」という現実である。売れなければ忽ち日本人は飢える。

 それをもたらしているのは、人であり、組織であり、技術や知識や思想の集積であり、安定した政治体制であるが、決定的に重要なのは人である。わが国がどういった方針で“人づくり”をすればよいのかを考えることが日本の将来像を考えることなのである。

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