教育立国(3)~知識社会の到来~
教育を考える際には、これからどのような社会が来て、それに対応してどのような人づくりをしたいかを考える必要がある。
「大学を出て、大企業に入れば人生安泰」という時代はもう来ない。それは、個人の側からみても企業の側からみても同様である。
昨年10月31日のブログに書いたとおり、現代の若者は即時的行為を優先する傾向、つまり、長期的な安定よりも現在のやりたいことの実現を優先する傾向にある。一方、企業でも、入社した社員の人生を丸抱えするほどの余力はない。なぜ、企業が終身雇用が維持できない状況になったのであろうか。
短期的には、平成不況に晒された企業がスリム化を必要とし、余分な人員を抱える余力がなくなったことが大きな原因であるが、それは本質的要因ではない。
根本の原因は、世界経済の構造自体が完全に変わったことによる。具体的には規格大量生産の社会から、知識社会へ移行したことである。1970年代以降の先進国に共通に見られるのは、日常生活に必要なものはすでにほとんどの国民にいきわたり、モノが売れなくなるという現象である。競争を勝ち抜くには、より、便利なもの、よりデザインのよいもの、よりブランド力がある、魅力的な商品・サービスを常に生み出す必要がある。
経済学者の岩井克人氏が指摘しているように、モノを作りさえすれば売れた時代は終わり、商品やサービスにいかに“差異”をつけて付加価値を上げるかによって、利益が得られるかどうかが決まる時代となったのである。
利益の源泉が“差異”にある以上、差異を作ることができる人間は貴重な戦力となるが、それができない人間は相対的に低い戦力とならざるを得ない。
クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュは、今から15年以上前に、その著書「ザ・ワーク・オブ・ネーションズ」でこのような21世紀の資本主義経済を予測し、ニューエコノミーと名づけた。ライシュは、高付加価値を生み出すことができる一部の人材をシンボリック・アナリストと呼び、彼らの重要性が増す一方、その他の人材は単純労働者として、低賃金で働かざるを得ないと結論付けた。
このような傾向は1970年代以降、先進国で起こりつつあった現象である。それが、冷戦の崩壊と情報通信技術の発達によりグローバル化が進み、一挙に加速したと見るべきであろう。この事態はわが国でも例外ではない。フリーター数は既に200万人を超えた。非正規雇用の労働者は増加する一方なのである。
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